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ビデオ。米国公民権運動のアイコン、ジョン・ルイスの棺がエドモンド・ペタス橋を渡る
米国公民権運動の象徴、故ジョン・ルイスの棺がアラバマ州セルマのエドマンド・ペタス橋を最後に渡った。
米国公民権運動の象徴、故ジョン・ルイスの棺がアラバマ州セルマのエドマンド・ペタス橋を最後に渡った。
55年前、アフリカ系アメリカ人の選挙権を求める闘いの重要な出来事である「血の日曜日事件」でルイスら公民権行進参加者がそこで殴打されたとき、人種的正義を求める闘いのランドマークとなった橋の近くに群衆が集まった。
ルイスはジョージア州第5区出身の民主党議員であり下院議員でもあった。 7月18日に膵臓がんのため80歳で死去した。
彼はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを含む「ビッグ6」公民権運動指導者の1人で、雇用と自由を求めるワシントン大行進を共同企画し、講演した。悪名高き「私には夢がある」演説がキング牧師によって行われたのと同じデモです。
馬に引かれる霊柩車は、1965 年の行進が始まったブラウン チャペル アフリカン メソジスト聖公会からセルマを通るルートを引き返しました。
ワゴンが橋に近づくと、群衆は「ありがとう、ジョン・ルイス!」「大変だった」と叫んだが、これは公民権運動中にルイスが白人当局との葛藤を表現するために使ったフレーズだった。
群衆の中には、ゴスペルソング「今朝目覚めたとき、私の心はイエスを思い出した」を歌った人もいた。その後、一部の見物人が公民権賛歌「ウィ・シャル・オーバーカム」や他のゴスペル曲を歌った。
夏の暑さの中で蝉の鳴き声が聞こえる中、霊柩車はアラバマ川にかかる橋の上で停止した。
1965 年にルイスがアラバマ州警察官に暴行を受けた橋の南側には、家族が馬車が転がるバラの花を置き、ルイスが血を流して頭部に負傷を負った場所を示した。
軍の儀仗兵がルイスの棺を馬車から霊柩車に持ち上げると、アフリカ系アメリカ人も含む州警察官らがルイスに敬礼した。
ルイスさんの遺体はアラバマ州議会議事堂に運ばれ、安らかに眠ることになる。