によるユーロニュースとAP通信、AFP通信
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モンテネグロ議会は、ボスニア戦争中のスレブレニツァでの虐殺に疑問を表明した同国の法務大臣の解任を可決した。
モンテネグロ議会は、1995年のスレブレニツァでの大量虐殺に疑問を表明した同国の法務大臣を解任した。
議員らは木曜日、ウラジーミル・レポサビッチ大臣のコメントを理由に後任を43対27で投票した。
同国はまた、法的影響はないものの、虐殺を非難し、虐殺を公に否定することを禁止する決議も可決した。
モンテネグロ議会(定数81)では55人の国会議員が決議案を承認したが、19人が反対したこの投票は新政府を揺るがし、連立与党内の亀裂を露呈させた。
レポサビッチ氏は最近、スレブレニツァでボスニア・セルビア人勢力による約8,000人のボシュニャク人イスラム教徒殺害が虐殺に当たると主張し、失脚した。
セルビア正教会に近く、親セルビアとみなされている元大臣は、虐殺が「明確に立証されれば」虐殺と認めると述べていた。
同氏は後に、自分のコメントは文脈を無視されており、モンテネグロ統治同盟内の親セルビア人グループから支持を受けていると述べた。
しかし、スレブレニツァに関する発言がEU加盟を求めるモンテネグロに対する国際的な批判を引き起こしたことを受け、ズドラフコ・クリヴォカピック首相はレポサビッチ氏の解任を要求していた。
レポサビッチ氏が辞任を拒否したため、クリヴォカピック首相は議員らに同氏解任の投票を要請したが、この動きはモンテネグロ連立与党の一部から強い批判につながった。
クリヴォカピック氏は議会で「私は解任を提案することで、正義と真実の側にいるだけで敵や裏切り者として再び非難されるリスクを負った」と述べた。
1995年7月にスレブレニツァで起きた虐殺は、1992年から1995年のボスニア戦争の終結とともに最高潮に達し、第二次世界大戦以来ヨーロッパで最悪の残虐行為の一つとみなされている。
この殺害は旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所によって大量虐殺として分類された。
しかし、この地域の多くのセルビア人はこの用語を拒否し、スレブレニツァなどの犯罪で終身刑を宣告されたボスニアのセルビア人軍事指導者ラトコ・ムラディッチ氏は単に自国民を守っているだけだと信じている。