コソボ、活動家らのステージ封鎖を受けてセルビアとの国境2か所を閉鎖

によるユーロニュースEBU

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セルビア人が大多数を占めるコソボ北部は長年、プリシュティナとベオグラード間の緊張の引火点となっており、国境封鎖は同日に行われ、EU特使はEUへの加盟を希望するなら両国は関係正常化に努めるべきだと述べた。

コソボ当局は、セルビア側のデモ参加者が道路を封鎖し、コソボの書類を持った自動車の通行を妨げたため、セルビアとの国境検問所4カ所のうち2カ所を閉鎖したと発表した。

現在閉鎖されているブルニャク交差点とメルデール交差点は、セルビア人が多数を占めるコソボ北部にある。

コソボのゼラル・スヴェクラ内務大臣は、今回の閉鎖は「セルビアの覆面過激派グループ」が旅行者の交通を選択的に遮断したことへの対応であると述べた。

この発言は、コソボとセルビアの活動家がブルニャク国境検問所で交通を阻止し、セルビアの書類を持ったドライバーのみ通行を許可したとの報道が出た後に出された。

「コソボの書類しか持っていない人は通行できない。なぜだろう?コソボの私たちの兄弟姉妹はセルビア共和国が発行した書類を持って運転できないからだ」とコソボのミトロヴィツァ地区市民協会の会長ロイェヴィッチ氏は語った。

セルビアの首都ベオグラードでは、デモ参加者らが封鎖に参加するため国境に向かうバスに乗り込んだ。

ゴリツァ・ドンチッチ・プゾヴィッチさんは、「動機は、そうした人々を助け、サポートすることだ。彼らは自分たちが一人ではなく、誰かが自分たちのことを気にかけてくれていることを理解すべきだ」と語った。

金曜日遅く、デモ参加者らが国境検問所を封鎖し、コソボからセルビアへの車両の通行を阻止した。

彼らは、これはコソボ北部のセルビア人民族が公式政権に匹敵するために設立した並行政権をプリシュティナ当局が閉鎖したことへの抗議であると述べた。

セルビア政府は、コソボの北部に住むセルビア人向けの保健、教育、社会保障制度に資金を提供している。

セルビアのデモ参加者らは地元メディアに対し、コソボの警察官が「コソボ北部から撤退し、奪われた組織がセルビア人に返還される」まで封鎖は続くと語った。

また、NATO主導のコソボ平和維持軍であるKFORがコソボ北部地域の支配を引き継ぐよう要求する者もいる。

「KFORとUNMIK(国連コソボ暫定行政ミッション)への緊急アピールをコソボ北部に送るべきだ。我々はコソボ北部の問題が解決されるまでここで抗議活動を続ける」とセルビアの活動家ドラギサ・ミリクは語った。

ミリック氏は後に、抗議活動参加者らは10月1日まで封鎖を解除しており、さらなる行動を起こす前に要求が満たされるかどうかを待つつもりだと語った。

コソボ北部は長年、ベオグラードとプリシュティナの間の緊張の引火点となってきた。

封鎖は、コソボ北部の警察がベオグラード政府に関連する5つの行政機関を襲撃して閉鎖したわずか数日後に始まり、緊張がさらに高まった。

そして今年初め、コソボはユーロを国内唯一の法定通貨とし、セルビアディナールの使用を事実上禁止した。

国境封鎖は、欧州連合の西バルカン半島特使がコソボとセルビア両国に対し、関係正常化に向けた努力を強化するよう促し、そのような動きが両国のブロック加盟に向けて決定的なものになると述べ、同日に国境封鎖が開始された。

コソボは、1999年にNATOの78日間にわたる爆撃作戦によりセルビア政府軍とアルバニア民族分離主義者との間のコソボ戦争が終結するまでセルビアの州であった。この戦争では主にアルバニア民族を中心に約1万3000人が死亡し、セルビア軍が撤退した。

セルビアは2008年に宣言されたコソボの独立を認めておらず、両国は不安な関係にある。

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