イラクではマクロン大統領、モスル遺跡のモスクや教会を訪問

によるAP

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マクロン大統領は、約5年間にわたってISISが占領していた都市を訪問した。

フランスのエマニュエル・マクロン大統領は日曜日、2017年のイスラム過激派組織「イスラム国」掃討戦争で広範囲にわたる破壊に見舞われたイラク北部の都市モスルを訪問した。

マクロン大統領はモスル訪問を、時の聖母教会の見学から始めた。この教会は、2014年から3年後の過激派の敗北まで続いたISの支配下で甚大な被害を受けたカトリック教会である。マクロン大統領の到着に際し、白い服を着てイラクとフランスの国旗を振りながら歌を歌ったイラクの子供たち。

教皇フランシスコが3月にイラクを訪問した際に特別な祈りを導いたのと同じ教会だった。訪問中、教皇は、破壊された教会の殻を訪問しながら、イラクのキリスト教徒に対し、イスラム過激派による彼らに対する不当行為を許し、再建するよう訴えた。

マクロン氏は厳重な警備の中、教会の壁がまだ弾痕だらけである中を動き回り、同行の司祭が19世紀に建てられた教会について詳しく説明した。その後、フランス大統領はイラク当局者らとともにモスルの一部を見下ろす屋上に上がった。

イラク人のラエド・アデル司祭は教会内でマクロン大統領に対し、「フランスがモスルに領事館を開設することを期待している」と語った。同氏はまた大統領に対し、モスル空港の再建への支援を求めた。

マクロン大統領は午後早くに教会を出て、2017年のIS過激派との戦闘で爆破され、再建中のモスルのランドマーク、アルヌリ・モスクに向かった。

アル・ヌリの大モスクとしても知られるこのモスクと、その象徴的な傾いたミナレットは 12 世紀に建てられました。 ISの自称カリフ、アブー・バクル・アル・バグダディ氏が2014年にカリフ制の樹立を宣言したのは、モスクの説教壇からだった。

イラク第2の都市モスルはISの官僚的・財政的支柱となった。 9か月にわたる激しい戦闘を経て、2017年7月にようやく都市が解放された。当時のAP通信の調査によれば、9,000人から11,000人の民間人が死亡し、戦争は広範な破壊を残した。多くのイラク人は、長年にわたる金融危機のさなか、自力で再建しなければなりませんでした。

キリスト教の初期の頃から、イラク北部には大規模なキリスト教共同体が存在しました。しかし、過去10年間にわたる過激派によるキリスト教徒への迫害で頂点に達した国内の戦争と不安定さのさなか、過去数十年にわたり数万人がイラクを離れ、他の場所に定住した。

北部のニネベ平原に点在する伝統的にキリスト教徒の町は、多くのイスラム教徒と同様にキリスト教徒がイスラム国の猛攻撃から逃れたため、2014年に空き地となった。 4年前にイラクでISの敗北が宣言されて以来、故郷に戻ったのはほんの数人だけで、残りはイラク国内や国外に散らばったままだ。

バグダッド

マクロン大統領は土曜日早朝にバグダッドに到着し、中東の緊張緩和を目的とした中東各国の当局者が出席する会議に参加し、仲介者としてのアラブ国の新たな役割を強調した。

マクロン大統領はバグダッド会議がイラクとその指導者にとって大きな後押しとなったと称賛した。この国は、相次ぐ戦争と国内不安による安全保障上の懸念から過去数十年にわたりアラブの指導者らからほとんど敬遠されており、同国の空港は反政府勢力によるロケット弾攻撃が頻繁にあった。

マクロン大統領は、「アメリカ国民の選択に関係なく」、そして「イラク政府が我々の支援を求めている限り」イラクに軍隊を維持すると誓った。フランスは現在、イラクの国際連合軍に800人の兵士を派遣している。

土曜日の夜、マクロン大統領はバグダッドのシーア派の聖地を訪れ、その後北部の都市アルビルに飛び、そこでイラクでIS戦闘員によって性奴隷にされた28歳の活動家でノーベル平和賞受賞者のナディア・ムラド氏と面会した。

イラクの少数派ヤジディ教徒の一員であるムラドさんは、2014年にISに捕らえられ性奴隷として強制された数千人の女性や少女の一人だった。彼女の母親と6人の兄弟はイラクでIS戦闘員に殺害された。彼女はドイツに逃れて避難した後、女性と少女を代表する活動家となり、2018年にノーベル平和賞を共同受賞した。

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