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ドゥマで40人が死亡した化学攻撃疑惑に対する報復として、フランス、米国、英国がシリアの軍事目標を攻撃してから4日後、シリアは火曜日、フランスからの独立72周年を祝う。
40人が死亡したドゥマでの化学攻撃疑惑に対する報復として、フランス、米国、英国がシリアの軍事目標を攻撃してから4日後、シリアは火曜日、フランスからの独立72周年を祝う。
シリア国家機関SANAによると、フランスからの独立を祝うため、シリア国旗を掲げた数千人がダマスカスのウマイヤ広場に集まった。ソーシャルメディアユーザーはオンライン上でこの出来事をマークした。
シリア・レバノンは1920年のサンレモ会議(第一次世界大戦後の会議で、旧オスマン帝国領土の管理を割り当てた)でフランスの委任統治下に置かれ、パレスチナは英国の委任統治下に置かれた。
その後、フランス当局は部族の忠誠心を考慮して領土をいくつかの自治区に分割した。レバノンは独立した国になった。
その後数年間、シリア人はフランスの支配に対していくつかの反乱を組織した。最も暴力的なのは1925年で、フランス軍によるダマスカス砲撃につながった。しかし、フランスが独立に向けて努力することに同意したのは1936年になってからだった。
初代シリア大統領シュクリ・アル=クワトリが選出されるまで、自由フランス軍とイギリス軍が短期間シリアを占領したのにさらに7年かかった。 3 年後の 1946 年 4 月 17 日、最後のフランス軍が撤退しました。
先週の土曜日、フランスは米国と英国とともに、シリア政府の化学兵器能力の疑いを標的とした共同軍事攻撃に参加した。この事件は、ダマスカス東の当時反政府勢力の飛び地だったドゥマで化学兵器による攻撃が報告され、40人が死亡したと報じられてから1週間後に起きた。西側諸国はこの攻撃についてバシャール・アル・アサド政権を非難している。
シリアとその同盟国であるロシアとイランは、攻撃が行われたことさえ否定している。
シリアは今年3月に内戦8年目に突入した。英国に本拠を置くシリア人権監視団によると、この紛争で少なくとも35万人の民間人が死亡した。 550万人以上が国外に避難し、さらに600万人が国内避難民となっている。