ボスニア・ヘルツェゴビナは独立30周年を迎える

によるユーロニュース

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首都サラエボでの式典にはボスニアのセルビア人当局者は出席していない。

ボスニア・ヘルツェゴビナはバルカン半島の分裂が続く中、独立宣言から30周年を迎えた。

式典は月曜日に首都サラエボで行われ、ボスニア大統領の3人のメンバーのうち2人が出席した。この組織は、ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人という国の主要民族の代表で構成される。

1992年3月1日、同国は旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国からの独立を問う国民投票を実施し、99.7%の圧倒的多数が賛成票を投じ、投票率は63.4%となった。

欧州経済共同体は4月7日までボスニアを独立国家として承認せず、国連は5月22日に独立を承認した。

この結果はボスニアのセルビア人によって非難され、数か月後に戦争が始まり、1995年まで続き、10万人以上が死亡した。

1995年、米国が後援したデイトン和平協定により、ボスニアに2つの主要な行政単位が創設された。セルビア人主体のスルプスカ共和国(RS)と、ボシュニャク人・クロアチア人が多数を占めるBiH連合である。

この 2 つの組織にはある程度の自治権が与えられ、三者が議長を務める州レベルの統括政府(各議員は 3 つの主要な民族グループのいずれかを代表する)と、軍、国家を含む国の主要機関を監督する閣僚評議会が設けられた。司法のトップと税務行政。

ボスニアのセルビア人議員ミロラド・ドディク大統領は独立記念日を「違法」と決めつけ、予想通りこの記念日を無視していた。

この祝賀行事は、ロシアのウクライナ侵攻によっても影が薄くなった。英国のボリス・ジョンソン首相は、これをボスニア戦争中のサラエボと同国への攻撃に喩えている。

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