福島:日本はまだ復興中ながら震災10周年を迎える

によるユーロニュースとのAP通信

公開日更新されました

この記事をシェアする

2011 年 3 月 11 日に日本の北東部の海岸を襲った大規模な地震、津波、原子力災害により、18,000 人以上が亡くなりました。

日本は木曜日、北東部を襲った地震、津波、原発事故から10周年を迎えており、そこでは多くの生存者の命が未だに脅かされている。

人々は、花束を持って海岸や墓に向かい、津波で流された親戚や友人のために祈りを捧げた。徳仁天皇と菅義偉首相は木曜日後半の追悼式で黙祷を捧げる予定だ。

2011 年 3 月 11 日に発生したマグニチュード 9.0 の地震は、観測史上最大の地震の 1 つであり、大規模な津波を引き起こして内陸まで押し込み、町を破壊し、福島第一原子力発電所のメルトダウンを引き起こしました。 1万8000人以上が死亡し、そのほとんどが津波によるもので、50万人近くが避難した。

依然として4万人が避難している

10年が経った今も、4万人以上の人々が未だに家に帰ることができず、そのほとんどが福島県出身であり、福島県では、放射能汚染のため、廃墟となった原発近くの地域はいまだ立ち入りが禁止されている。

道路、鉄道、その他の主要なインフラと住宅は、30兆円(2,350億ユーロ)以上の費用をかけてほぼ完成しているが、人口が減少していた宮城県と岩手県のさらに北の海岸沿いの町では土地が空き地のままである。災害によって加速した。

津波で役場が全壊し職員約40人が亡くなった岩手県大槌町では、役場跡の空き地にダークスーツを着た遺族が集まった。宮城県石巻市では、町内にある3000人以上の犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に住民数十人が祈りをささげた。

立ち入り禁止区域

放射線の直接的な影響で亡くなった人はいないが、福島第一原発近くの県土の2.4%が立ち入り禁止区域のままで、福島県は放射線の影響で復興努力が遅れている。溶融した原子炉の廃炉は前例のない挑戦であり、10年にわたる作業を経て、そもそも廃炉が可能なのか疑問を持つ人もいる。

木曜日の式典は、政府が主催する2011年の災害に対する最後の全国追悼式典となる。 7月に延期された東京夏季大会に先立ち、福島からオリンピックの聖火ランナーが始まるまであと2週間となった。

菅首相は、オリンピックは日本の災害からの復興を示し、コロナウイルスのパンデミックに対する人類の勝利の証明になると述べたが、一部の災害生存者の中には復興はまだ道半ばだと言う人もいる。

全国でもこの日が防災意識を高める日となった。西日本の京都では当局が防災訓練を実施した。

アクセシビリティのショートカットに移動