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ロシアによる2014年の戦略上のクリミア半島併合は、モスクワとキエフ間の新たな緊張の中心となっている。
2014年3月に実施された住民投票は、ウクライナの親ロシア派ヴィクトル・ヤヌコービッチ大統領の追放を受けて、ロシア政府がクリミア編入を正当化するものとなった。
当時、200万人の住民のうちほぼ60パーセントが自らをロシア人であると認め、投票者の96パーセントは、この半島がウクライナの自治区であることをやめ、代わりにロシアの一部となることを望んでいると述べた。
クリミアの戦略的重要性は、黒海まで広がっていることだ。ロシア海軍は南海岸の港湾都市セヴァストポリの基地から地中海東部、バルカン半島、中東に迅速にアクセスできる。
1954年までクリミアはソビエト・ロシアの一部だったが、ウクライナ生まれのニキータ・フルシチョフ指導部が法令によりクリミアをソビエト連邦のウクライナ部分に移管した。
共産主義政権の崩壊後の1992年にクリミアは独立を宣言したが、シンフェロポリに独自の議会と政府を置いたものの、ウクライナの一部にとどまることを決定した。
モスクワは引き続き、11,000人もの水兵と60隻の船舶を擁する黒海艦隊をセヴァストポリに基地として置いた。
そして2010年、何年にもわたる曲がりくねった交渉を経て、新たに選出された親モスクワ派の大統領ヴィクトル・ヤヌコビッチは、安価なロシア産ガスと引き換えに港の賃貸契約を2042年まで延長することに同意した。
2014年2月にヤヌコビッチがマイダン革命によって失脚し、親西側政府に取って代わられたとき、それがクリミアの政治危機を引き起こし、すぐに親ロシア分離主義者が街頭に繰り出した。
制服に識別記章のない重武装部隊が政府庁舎、主要空港、あらゆる通信手段を占拠した。
後に彼らがロシア人であることは認められたが、当時ロシア政府は、この地域で「国民を守る」ために軍隊を警戒させているとだけ述べた。
2014年3月11日、ロシアによる公然の軍事介入があり、クリミアは速やかにロシアに併合されると独立を宣言した。これに伴う住民投票はキエフと西側諸国によって違法であると非難された。
クリミア併合後、クリミア東部ではウクライナ軍とロシアの支援を受けた分離主義者との間で血なまぐさい戦闘が続いた。 9,500人以上が殺害されたことがわかっている。
欧州連合と米国はロシアとクリミアに対する経済制裁でロシアの動きに対抗した。
最近の感染拡大のずっと前、1月にウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領は、クリミアをロシアの支配から確実に取り戻すことは、今年国東部の分離主義勢力が支配する地域の主権を取り戻すことと並んで優先事項であると述べた。
クリミア近郊とウクライナ東部でウクライナ軍が厳戒態勢を敷いている中、双方は緊張が高まっているとして相手を非難している。
クリミアとウクライナの国境で緊張が高まっている。ウクライナ軍は厳戒態勢に置かれているhttps://t.co/4XNCBklbOipic.twitter.com/eVvuQCdRcm
— フィナンシャル・タイムズ (@FT)2016 年 8 月 11 日